暮れの風物詩と学校事務

 流行語大賞が発表され一年の終わりを感じるようになりました。 これもマスメディアによる創られた風物詩なのかもしれません。 では、暮れを感じるものは一体何なのだろうと考えてみました。 冬至南瓜、餅つき、日暮れの早さ、そして冬休み。冬至南瓜を食べる風習は残っているのでしょうか。 我が家では小豆の甘い香りが台所から流れますが、餅つきは最早見る機会がなくなり、 綺麗な紙パックが配送されてきます。 日暮れの早さと冬休みはどうやら定期的に実感することができます。 がしかし、その冬休みも北国の季節感を反映しない日程になったよう気がするのです。 そして新型インフルエンザによる休業日の短縮。 どうやら冬休みも暮れの風物詩とは云えない日が来るのかもしれません。

過日、「反貧困」の著者である湯浅誠さんの講演を聴く機会がありました。 正規と非正規のほかにその中間にある領域、貧困と貧乏の違い、そして「溜め」。 やさしい語り口と緻密なデータと分析、この二つが相まってどんどんと 会場全体が惹きこまれていきました。
さて、私たち北海道の学校事務では「領域」と「行政的標準化事務」という二つの考え方が 内包しています。視点を変えると湯浅さんの言葉のように、 その中間に属する領域があるのかもしれません。 あるとすればそれはどのようなものなのか、すこし考えてみたいと思います。 「溜め」、これは事務職員同士の横の繋がりを基点に 「職場」「地域」などとの連携にあるように感じます。 人間関係・精神的な「溜め」は私たち自身の取り組みによって保障されるのです。

注) 「溜め」とは、1お金2頼れる家族・友人3自分に対する自信
この3つを溜めの機能として話されていました。