北海道公立小中学校事務職員協議会 会長 常陸 敏男(ひたち としお)
会員の皆さんの中にも、山スキーを楽しまれている方がいらっしゃると思います。私もその一人ですが、一冬に 1・2度の山行ですので、趣味という程のことではありません。それでも、春になって陽が高くなり、峰々が輝くような白さを増してくると、なんとしても山に 行きたくなります。そんな訳で、年度末の忙しさを無理矢理頭から振り払い、3月の最後の週休日に、ニセコ連峰のワイスホルンに向かいました。
山スキーは、スキー場で滑るようなスキー(いわゆるゲレンデスキー)と異なり、かかとが上がる締め具がついたスキーの滑走面にシール(アザラシの皮)を 貼り、スキーが逆戻りしないようにして、かなりの急斜面でも真っ直ぐにずんずん登っていくことができます。下りでは、かかとを固定できるタイプの締め具の 場合はゲレンデスキーと同様に滑り降りてくることができます。かかとが固定できないタイプはテレマークスキーといって、少し特殊な滑り方が必要です。な お、現在のシールはアザラシの皮ではなくて化学繊維でできています。
さて、上り始めて1時間くらいで、後続の親子連れに追い抜かれました。山では、出会った人に挨拶を交わすのがマナーですが、子どもたちの方から元気よく「おはようございます」と挨拶を受けました。聞くと、9歳と5歳とのこと。まあ、孫に抜かれたと思えばいいか。
もう何年も健康にいい運動をしていないため、体力は落ちる一方です。とにかく自分のペースを乱さないよう、ゆっくりゆっくり上っていきます。そうする と、山頂に続く尾根の入り口で親子連れに追いつきました。お父さんは、自分、5歳の子、9歳の子の順にザイルで体を繋いで登っています。滑落防止というよ りは、5歳の子を引っ張るのが目的のようです。見ると5歳の子は、先ほどの元気はすっかり影をひそめ、よたよたと父親に引っ張られています。その姿を見て 私は不意に、「藤原てい」の著書「流れる星は生きている」を思い出しました。昭和20年8月9日のソ連参戦の夜に、満州新京から3人の子どもを連れての脱 出行を著者自身が記したものです。お読みになった方も多いかと思います。
「お母ちゃん、歩けない」
正彦がはだしのままで立ち上って泣き出した。
「馬鹿!死んじまえ、馬鹿!」
私は正彦の頬を平手でびしゃりと打った。
(流れる星は生きている 中公文庫より引用)
子どもの頃、息を呑むように読み進んだこの本を、齢を重ねた今、涙なくして読むことはできません。この日は晴天でしたが、15分間隔くらいで強い風が吹 いており、結局父親は「今日はここでやめます」と言って下山を始めました。私の方は程なく山頂に辿りつき、一休みして下山をしました。途中、親子が雪遊び をしていました。子どもたちはもうすっかり元気を取り戻していて、大はしゃぎしていました。
ハイキングの親子と「流れる星は生きている」の親子を結びつけ、平和であることの大切さをかみしめるのは飛躍しすぎでしょうか。私はそうは思いません。
2013年4月26日