ふらのフォーラムに期待すること

北海道公立小中学校事務職員協議会 会長 常陸 敏男(ひたち としお)

2013-07
~昨年のふらのフォーラムオプションプログラムから~
撮影:吉田良樹さん(デジタル一眼レフカメラで撮影)

今年も「ふらのフォーラム」の季節になりました。今年は栗山町の「雨煙別小学校コカ・コーラ環境ハウス」が メイン会場となりました。私自身、第1回のふらのフォーラムから関わってきた者として、今年で3回目となるこの催しについて思うことをこの場を借りて述べ てみたいと思います。
そもそもこのフォーラムは、富良野市のとある居酒屋に事務職員仲間が集まってわいわいがやがや学校間連携談義を闘わせていた中で、「学校間連携会議の全 道フォーラムをやらないか」というアルコールの勢いを借りた発案が始まりでした。学校事務誌に掲載された第1回フォーラムの公式記録にも書かれているとお り、居酒屋談義を現実のものとしてしまうエネルギーが北海道の学校事務のエネルギーでもあるのかもしれません。
さて、第3回となる今年のフォーラムですが、過去2回との違いで私が気になっているのは、過去2回は民主党政権下、今回は自民党政権下という、そういっ た政治的背景の違いです。政治的背景によって教育の在り方がころころ変わらないようにとの配慮から教育委員会制度があることも併せて鑑みれば、そもそも政 権交代について云々することに意味はあるのか、との考えもあろうかと思いますが、政治状況に教育が振り回されてきたのは近年の出来事が明らかにするところ です。ですから、この度の政権交代の意味や教育政策の方向を踏まえ、現場の取り組みを検討することは教育に関わるものとして必要な態度であると私は思って います。しかし、そのような考えには賛否があって、教育政策や具体的施策を考えるのは政治家や官僚・学者の仕事であり、それを確実に実行するのが現場の役 割である、という考えがむしろ大勢かもしれません。現在のような、課題が山積し多忙を極める現場においては、そのような考えに否応なしに立たされていると いうべきかもしれません。しかし、だからこそ敢えて意見を異にしたいのは、教育の仕事は直ちに成果が見えるものではなく、その人の生涯、そしてその子、そ の子孫までにも影響のある事であるが故に、遙か未来の事にまで思いを馳せながら、今日明日の仕事に取り組むという、そういう類の事業であると考えるからで す。
そのような考えから、今年のフォーラムで講演いただく尾﨑先生と末冨先生に、今年のフォーラムの基本コンセプトについて「グローバルとローカル」とお伝 えしています。その意図するところについてはここでは詳しく述べませんので、是非フォーラムにご参加いただきたいと思いますが、私個人としてフォーラムに 期待することを少し述べさせて下さい。

全道事務研本部所管分科会では、「領域の普遍化」に向けた「問う」「創る」「繋ぐ」の3年計画の取り組みが進められています。「領域の普遍化」と言うの は「『領域』には普遍性があるが、現在はそれが確立していない」もしくは「もともと普遍性が無いので普遍的なものにしたい」ということの裏返しと考えられ ます。そして、そのような願いが近年色濃く打ち出されている背景には、「領域」に対する「難解だ」「属人的だ」「時代に合わない」などの批判が少しずつ増 していることや「領域実践」がみんなのものになってきているという実感がなかなか得られていないこと-または得られていないという批判があること-などが 考えられると思います。「事務総量白書」から「5項目」そして「領域」と、職務確立の取り組みが「深化発展」してきて「領域」提起から早30年以上、学校 事務職員としての一生涯を跨ぐ期間生き続けてきた「領域」も同じように終焉の時が来るのでしょうか。「領域」が学校の中で活きづらい、承認を得難いという 課題はその草創期から存在していたと思います。しかし、その困難を少しずつ克服して多くの実践に全道の仲間が勇気づけられたことは間違いありません。「領 域」は依然として私たちの実践的支柱であり、発展する余地はまだまだあるというのが私の考えです。現在の領域批判は、あたかも「加憲」論議のようだと私は 思います。つまり「現在の憲法は環境権に対応していないから改正が必要だ」というような論議ですが、現行憲法で環境権を保障することが困難だとは全く思え ません。同じように、「領域」の考え方が時代の要請に対応していない等の理由で見直しが必要だという理屈は的を射ていません。ただ、領域実践をより一層進 めようという機運が著しく困難になった時期があったと思います。
それは多分、バブル経済が崩壊して生活保護世帯や就学援助認定世帯が急増したり、保護者のリストラや賃金カットで進学を諦めたり退学を余儀なくされた生 徒の増加など、家庭や子どもにとって厳しい時代が到来した頃に始まるのではないかと思います。戦後に使われた「勝ち組負け組」や「貧困」「格差」などの用 語が新しい概念を纏って使われ始まるころです。「失われた10年」とか「失われた20年」の始まりの時期です。バブルが崩壊するのが1991年ですが、そ こに至るまでの日本の経済状況を大雑把に表すと、高度成長が1970年台初頭に終わり、それまで、拡大する経済利益の余剰が下層階級(庶民)にも一定程度 分配されていたものが、限られたパイの中で分配方式を変える方向に動いていきます。もちろん、所得税率の引き下げや税率区分の平準化は、戦後ほぼ一貫して 進められており、バブル崩壊以前からその動きはあったわけですが、高度成長の貯金があったということでしょう。本当はその貯金があるうちに、神野直彦先生 が言われるような「分かち合いの経済」に向けて舵を切るべきだった。しかし、残念ながらその貯金を食いつぶしながら、頑張った人が多くの富を得ることは正 当なこと=高額所得者の「酷税」緩和、という世論が形成されていきます。経済利益の分配方式が「自己責任」のような熟語で象徴されるように、「努力したも の」「業績を上げたもの」に対して厚いものに決定的に変化したのは、「信賞必罰」の「小泉構造改革」の頃からかと思います。それ以降の出来事はご承知の通 りかと思いますが、雇用の流動化による非正規労働者の急増、社会保障費の抑制による生活困窮者の負担増、徹底した成果主義の導入による賃金格差の拡大な ど、日本社会は「情け容赦ない競争の時代」に突入していきます。
そのような時代の中で、子どもたちの生活は、学びはどうなっていったかということが、実は学校という場であまり語られていないのではないか、そういう印 象を個人的に抱いています。象徴的なエピソードはいくつもありました。例えば「健康保険に加入していない生徒がいた」「夕食は給食の残りのパン半切れだ け」などがそれにあたります。しかし、「子どもの貧困」がマスコミに踊っていても、学校の中でそのことが話題になることはあまりありませんでした。就学援 助認定児童生徒が3割にも達するのに、です。事務職員が中心になって保護者負担軽減のための取り組みを進めていますが、自治体財政はますます厳しくなっ て、教材費などの公費負担は減少するが、教育内容の質量を落とさないために(という理由で)、その費用を保護者負担に頼らざるを得ません。震災後、東北地 方への修学旅行を避け、一気に関東、関西へ飛ぶ学校が多くなったように思います。当然家庭の負担は増し、経済的な理由で参加をしない子どもが増えているよ うに思います。旅行費用の支払いをしない子どもは連れて行かないという原則を打ち出す学校もあると聞いています。お金を払わないのは子どもではなくて親な のに、です。そしていつの間にか、保護者負担は保護者のニーズだから当然(「やむをえない」ですらなく)という声も大きくなっています。そんな中でフォー ラム講師の末冨先生は、子どもに対する現在の教育投資に対する見返りが期待できないと判断した親が、子どもに対する教育投資から撤退し始めている現実を指 摘しています。こうしてみると、子どもには本当に平等な教育の機会が保障されているのか、はなはだ疑問に思わざるを得ません。いや、素直に目を開いて真実 を見つめれば、子どもは産まれたその日から不平等な環境に置かれているのであり、その是正機能を持つべき義務教育の場でも、「自己責任」や「保護者責任」 という間違った判断で不平等を容認してしまう雰囲気が増長していることは、容易に理解ができるはずです。私たちは心から全ての子どもたちの健やかな成長を 願い、職業を通してそのことの実現に向けた努力を惜しまないと自信を持って言えるのでしょうか。少なくとも、そのために頑張ると言えるのだろうか。学校事 務を考えるとか、領域を考えるとか、領域でいいのかとか、そういう議論のまず初めに、子どもの明日をどう考えるのか、それは学校の子どものことでもあり、 私たち自身の子どものことでもあり、そのまた子どものことでもあります。
共同実施の問題が起き上がってから、「学校に居てこそ学校事務職員」というフレーズが使われるようになりました。では、学校事務職員は何のために学校に 居るのか、「事務総量白書」から「領域」に至る50年の私たちの苦闘はこれからも続くでしょう。仮に、その手段が「領域」以外の何かに変わるような事態に なったとしても、子どもの有り様に正しく向き合わない、捉え返しをしない理論や実践では何の意味もありません。先程、日本社会は「情け容赦ない競争の時 代」に突入した、と述べました。今、学校も同じです。「学び合う」「響き合う」などの麗句で包み隠しても、この本性は変わりません。本来、支え合って生き ていくべき人間が、競争によって切り離されていく現実。この現実に対して、小さな単位で人々が切り結ばれていくソサイエティー、コミュニティーを再構築し ていくこと。私自身は、そのようなことを考えながら、ふらのフォーラムに参加したいと思っています。栗山で会いましょう。

2013年7月19日