その審判員の名前は、歴史というのだ・・・

北海道公立小中学校事務職員協議会 会長 常陸 敏男(ひたち としお)

image21
「マル」 4×5フィールドカメラ+モノクロネガフィルムで撮影

机の中を整理していたら、写真展の入場券が出てきました。それは昨年の2月のはじめまで札幌エスタで開かれていた写真展「土門拳の昭和」の半券でした。土門 拳の名前をご存じの方も多いかと思いますが、戦後日本を代表する写真家の一人です。ただし、1979年に脳梗塞で意識不明となったまま1990年に亡く なっているので、若い方には馴染みがないかもしれません。だいいち、写真やカメラに趣味のある人でない限り、写真家といわれても思い浮かぶ名前はそう多く ないでしょう。

もともと画家を目指していた土門が、写真館の門生になって写真家を目指し始めた頃のカメラは、現在のものからは想像を絶するほど複雑な手順を経なければ1枚の写真が撮れない代物でした。その様子を土門は次のように記しています。
「・・・まずシャッターをタイムにして全開させ、レンズを開放にし、それからピントグラスをのぞきこんでピントを合わせ、ピントを合わせたらシャッター を閉め、希望のスピードに目盛りを調節し、シャッターを捲き上げ、レンズの絞りを希望の絞りに調節し、それからパックホルダーを差しこんで、その引蓋を引 き、さてシャッターを切るという手順になる。」(「死ぬことと生きること」から引用)
こういうカメラを使ったことの無い人には、いったい何のことを言っているのかさっぱりわからないと思いますが、映画「ガンジー」で、キャンディス・バー ゲン扮するマーガレット・バークホワイト(米国の女性フォトジャーナリスト)がガンジーを撮影する際の動作が丁度そんな感じかなと思います。とにかく、土 門はこのようなカメラを使いこなすために、カメラを構える動作を繰り返し練習し、目測でピントを合わせる訓練を行い、どんなときでも咄嗟に撮影が可能にな るように努力を続けました。
そうした後に土門は、大型カメラを使って被写体とぎりぎりまで向き合って撮影する方向に進んでいき、有名な「古寺巡礼」を作り上げますが、古寺巡礼に至 るまでに、「江東のこどもたち」「ヒロシマ」「筑豊のこどもたち」「るみえちゃんはお父さんが死んだ」など数々の作品・写真集を手がけており、私としては これらの作品の方が強く心に残っています。特に、初めて酒田市の「土門拳記念館」を訪れた際は、数々の仏像などの大きな写真も圧倒的でしたが、より強く心 を打たれたのは「筑豊のこどもたち」など、子どもを題材にした作品群でした。そして、それらの写真は小型のカメラで「スナップ」されたものでした。ライカ 版とか35mmと呼ばれる、24mm×35mmの画面を持ついわゆる普通のカメラの場合、一般に供給されているフィルムは多くても36カットしか撮影でき ず-少し前には100フィートの長尺フィルムが入るマガジンを装着できるカメラもありましたが、土門の時代はそれ以前であり-頻繁にフィルムを交換する必 要がありました。写真家といえども、フィルムを交換しなくてはならないのはアマチュアと同じです。現在のように、思うままに何枚でも電池とメモリーカード の容量の限り撮り続けられたわけではありません。
デジタルカメラの技術は日進月歩で、動画から静止画を切り出しても十分な画質が得られるようになるのも、それほど先のことではないでしょう。これまでは 特にスポーツ写真などでは一瞬のシャッターチャンスを切り取る技術に重要な意味がありましたが、今後は例えば陸上競技の100mの動画から決定的な写真を 切り出すことが可能になると思われます。一般的に現在のデジタルカメラの動画撮影は1秒間に24コマから60コマ程度で構成されており、従ってウサイン= ボルトの走る100メートルの9秒6弱の時間に600コマ程度の静止画が存在すると考えると、もう人間の肉体が制御する能力を遙かに超えています。このよ うな技術の進歩により、今後は”写真を撮る”という行為と意味が根本的に変わってしまうかもしれません。
しかし、「決定的瞬間」という言葉はフランスの写真家”アンリ・カルティエ=ブレッソン”の写真集「Image à la sauvette」の英語版タイトルの日本語訳ですが、この写真集を見ていると決定的瞬間というものが単に「人間に見えない瞬間をミリ秒単位まで追い詰め て切り取れば得られる」ものとは違った意味があるように思えてきます。土門の写真もまた、決定的瞬間を切り取ったということ以上の意味がそこに写し込まれ ていると考えざるを得ません。高名な写真家の作品を見ればそう思えるのですが、自分が撮影した写真にそう感じたことがないのが何とも残念ではあります。

最後に私が大変気に入っている土門の言葉があるので紹介します。

~芸術としての写真は、あくまでも人間の感性に訴え、思想に呼びかける。受ける側の人間の感性と思想によって、その受け止める感動も意味も価値もまるで ちがわざるを得ないのだ。その意味で、写真は碁や将棋やスポーツの世界とは本質的にちがうのだ。A選手とB選手のどっちが強いか弱いか、早いか遅いかとい うような時計の針で計れるものとは、本質的にちがうのだ。しかもなお、勝負はある。敵か味方か、前向きか後ろ向きかの二つの党派、二つの陣営同士の間で勝 負はある。目には見えないで、計るに計れないで、勝負はつけられる。そして、審判員もちゃんといる。その審判員の名前は、歴史というのだ。(「写真作 法」”勝負師の世界”より。原文は「フォトアート 昭和31年7月号 近代写真講座」に掲載)

2015年4月17日