花よ伝えて、母ちゃんのこと

北海道公立小中学校事務職員協議会 会長 常陸 敏男(ひたち としお)
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「震災前(2003年2月)の宮古市浄土ヶ浜」 6×6一眼レフカメラ+ポジフィルム

少し前のことですが、渡島のKさんからある全国紙の切り抜きが送られてきました。「花よ伝えて、母ちゃんのこと」という見出しのその記事の内容は、以下のようなものです。(記事はインターネットで検索可能です)

岩手県釜石市の木村正明さんの妻タカ子さん(当時53)は、市立鵜住居(うのすまい)小学校事務職員で、一人だけ職員室に残り亡くなりました。児童と教職員は全員避難して無事でした。震災当時「釜石の奇跡」という言葉が新聞やテレビで次々と取り上げられるなか、その言葉を「聞く度に傷ついた」正明さんは、その困惑を市にぶつけ、訴えを受け止めた市は2013年3月に「釜石の奇跡」を使うことをやめました。しかし、妻が職員室に残った真相は、「親からの電話に備えたらしい」ことや、用務員が「残ろうとしたら(タカ子さんから)『避難しなさい』と言われ逃げた。命の恩人。」と述べたこと以外明らかになりません。正明さんは、「危険を覚悟で職務を全うした」と美談にされることを嫌っていましたが、(他の人から)生前の妻の話を聞くたびに、「もっと私のことを伝えて」と言っているように思えてきて、妻のことを語ろうと決めました。

正明さんはその後、真相を知るために学校などと重ねてきた話し合いをまとめた本「語ることにした」を500部自費出版したと、地元紙の記事にありました。私はその本を読んでいないので、詳細ないきさつは知りません。しかし、この出来事が語るものは、タカ子さんの命が引き替えになって私たちに訴えかけているように思え、その大きさ重さにたじろがざるを得ません。
切り抜きを送ってくださったKさんは、「ぜひ全道事務研でこのことを取り上げてほしい」とのことでしたが、既に概要が固まっていたこともあり、事務研のスケジュールに組み込むことはできませんでした。しかし、9月17日からの全道事務研第3分科会では、防災に関する問題提起が二つの支部から発表されます。この機会に、私たちもタカ子さんの「伝えたいこと」を一緒に考えてみることにしませんか。
タカ子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

2015年9月10日